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2005年8月30日 (火)

Kameari, ma ville

Kameari est une ville où j’habite. Une petite ville qui n’a que un grand “Ito Yokado”(un hypermarché) se fait un grand nom depuis la émission de l’anime de “Kochira katsushika-ku kouenmae hashutsujo” est commencé. Il est l’anime à laquelle un argent inouï déploie son activité. Dans cela le poste de police où un argent de héros travaille se casse bien des fois. Mais, en fait, le poste de police comme ça est nul. Venez à Kameari sans la peur!

亀有は僕の住んでいる町です。大きなイトーヨーカドーがあるだけの小さな町ですが、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のアニメの放送が始まって以来、有名になりました。破天荒なおまわりさんが活躍するアニメです。その中では主人公のおまわりさんが勤務する交番が何回も破壊されます。でも実際は、そのような交番はありませんので、安心して亀有に来てください!

kameariekimae

う~ん、日本語の方がちょっと直訳っぽくなってる?()

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2005年8月29日 (月)

Chat noir

C’est une catastrophe

Dieu, il faisait la sieste?

Le niveau quotidien, l’écroulement

Ça ne m’intéresse pas

Un chat noir apparaît par la fenêtre de la quatrième dimension

Il a les yeux fauves sans obéissance aveugle

Et court sur le clavier de piano

La mélodie laide, mais, c’est très bien

Le monde est l’harmonie de la discordance, tu es libre

L’hallucination auditive incompréhensible, les gens entendent ça souvent

Tous les choses sont rationnels et contradictoires, les gens, sois libre

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2005年8月27日 (土)

R.N.マッキンノンさんの事 第3回

 私がマッキンノンさんの消息を追っている事が母校の寮史編纂委員の耳に入り手紙が来た。マッキンノンさんは日米の架橋になった大事な先輩である。お前の調べた事を載せたい。
既に発表された寮史は中途半端な所で終わっており、誤謬も多いので我々が生きている間にきちんとしたものにして金沢大学に納めたいのだ。ついてはマッキンノンさんの事は今まで伝聞として伝わっているだけで、彼が確かに寮にいたという証拠を探して文章にしてくれないか、というのであった。
私は満更嫌いな仕事ではないから引き受けた。しかし私は横着な事に母校の名簿を持ってはいなかった。嘗て私は母校の会合に何回か出たが、我々は旧制高校の最後尾にいたので出席者の大半は年配の人ばかりであった。しかも彼らは皆殆ど旧帝国大学の出身であったから、昔はよかった、今の若い者はなっちょらん、といったエリート意識は私の好む所ではなかった。その後会合には全く出なかった。名簿すら不要であった。
私は同窓会本部から名簿を取り寄せ、マッキンノンさんと同年代の学年からアトランダムに電話をかけ始めたが、誰もマッキンノンさんを知らなかった。
我々がドイツ語を習い最後東大独文科教授になった西義之先生は、
「彼は一年上で文甲(英語専修)、僕は文乙(ドイツ語専修)だったから知らないね。でも一度だけ後姿は見たよ。腰に手拭をぶら下げ、僕よりずっと旧制高校生らしかったよ。」
と言われた。これでは話にならぬが、先生より一年上を探せばよいと分った。
 私はふと我が医師会の眼科の横山葉子先生のご主人が先輩である事を思い出し電話したが、結果的にはこれが正解であった。
 「マッキンノンさんは昭和十六年十二月に逮捕され、僕は翌年の十七年四月に入学したから
丁度入れ違った訳ですよ。従って僕はマッキンノンさんは全く知りません。しかし僕と仲のよかった本地健三君は蹴球部の塾にいたから、何か知っている筈です。僕が知らせておきますから彼に電話してご覧なさい。」
と言われた。早速私は大阪富田林の本地さんに電話した。
 「あゝ、私が塾に入った時にはマッキンノンさんの余香はまだ多分に残っていました。下駄箱にはマッキンノンさんの十一文半はあろうかという大きなサッカーシューズがはみ出す様に置いてありました。それに私達はマッキンノンさん作曲の寮歌を盛んに歌ったものです。」
と言われるので、私はそれはこうでしょう、と言い楽譜を見ながら歌うと、本地さんはソラで電話の向こうで私に合わせて歌われ始めた。
 歌詞も節も電話の向こうとこちらで完全に一致した。それは感激の一瞬だった。私はマッキンノンさんの至近距離にやっと到着したのであった。
 本地さんは、あの作曲を手伝った佐々木文平さんもご健在の筈ですよ、と言われた。
 今度は大阪池田市の佐々木さんに電話した。
佐々木さんは中寮三号でマッキンノンさんと机を並べて勉強された方だった。私は意外に簡単に目的地に到達したのであった。
 「あゝ、あれですか。私もマッキンも全く音楽的な素養はありませんでね。ただ口でフンフンと言いながら、つまり口三味線ですな、それで出来上がったんですよ。
 え、短調で作曲してありますか。私には全然そんな事は分りません。作詞は一年上の緒方亮輔さんでした。記念に三人一緒の写真を撮って貰いましたが何しろ六十年も昔でしょう。どこに紛れ込んだか分りません。
 マッキンは成績も優秀でしてね、クラスで常に一番か二番でした。矢張り同級で仲もよく蹴球部にいた佐久君を紹介してあげましょう。
彼は蹴球部ですから私より情報量は多い筈です。」

                    (川野蓼艸氏寄稿)

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Etude. Torse, effet de soleil (Renoir)

torseDepuis j'ai regardé ce tableau, j'aime Renoir.
Je crois que la femme est un thème le mieux d'art. Renoir est un peintre qui peint la femme la mieux jolie.

『陽光の中の裸婦』 ルノワール

ルノワールのこの絵を見て以来、彼の作品が好きになりました。僕は、「女性」というのは芸術の最も崇高なテーマの1つだと思ってます。彼は最も女性を美しく描いた画家の1人ですね。

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2005年8月20日 (土)

R.N.マッキンノンさんの事 第2回

 マッキンノンさんに友人の一人が言った。
「俺はすぐにお前の文章だと分ったぜ。おくのほそ道の冒頭だろう。斎藤茂吉の歌だろう。
 たらちねの母は死に給うなり、たまきわる我が命なりけり、だろう。あれには参ったな。
 俺は当時山中で何時死んでもいいやという投げやりな気持だったんだが、あのビラのおかげで、お前がこの付近まで来ているんだったら、これは助かると思ったね。それから生きる望みが又湧いてきた。あのビラのお蔭だ。」
するとマッキンノンさんは言った。
「俺は君達の、マッキン、頑張れ、くたばるなは骨身に沁みたぜ。敵味方になったのに声をかけてくれる君達の気持に、拭っても拭っても涙が出てきて困ったなあ。あれで再び勇気が湧いたんだ。」
と言われたという。
 私はこの事を俳句や短歌の雑誌にエッセイとして書いた。間もなく会津若松の見知らぬ年配の女性から手紙が届いた。
 自分の姉は東京女子高等師範(現・お茶大)時代にマッキンノンさんのお姉さんと同級でした。生きていてこの文章を読んだら喜んだでしょうに、先年死にました。マッキンノンさんのお姉さんは大変な美人だったそうです、と書いてあった。
 私は直ぐにお茶大同窓会に電話した。調査の結果、確かにエリザベス・マッキンノンという女性が昭和十三年に卒業しています。
 昭和十七年、つまり開戦の翌年発行の名簿にはマサチューセッツ在住と書いてあるので、その頃には帰国されていたのでしょう、との事でそのクラス代表の婦人を紹介してくれた。
 その婦人は、エリザベスさんはカリフォルニア在住で、日本語で文章を書くのが次第に億劫になって困るそうです、妹のリンコーナさんは東京に住んでおられます、と言って住所電話番号を教えてくれた。
 私はリンコーナさんに電話した。彼女はハローと出られたが、私が日本人と分ると俄かにネイティヴな日本語で話し始められた。
「戦前に父がアメリカへ勉強に行く様にと言うので、私と姉は先に帰国していました。
 弟のリチャードと父は交換船で次々に帰国しました。しかし母は病気で動かす事が出来ず、昭和十八年、小樽で人知れず亡くなりました。
 私は戦後来日し東京に住む様になりました。母の遺骨を大事に守っていてくれた人の事が偶然に分り、私は母の骨を抱いて帰りました。そして多磨霊園に墓を作って埋葬しました。
 弟は平成六年に癌で亡くなりました。弟も母の傍らで眠っています。」
「分骨ですか。」
「いいえ、アメリカには分骨の習慣がありません。弟の骨は全部東京です。」
 多磨霊園は拙宅から車で十分もかからぬ。私は早速車を飛ばして多磨霊園に赴いた。
紫陽花がそこここに咲き、そぼ降るはつ夏の雨に濡れていた。 
 外人墓地の中のマッキンノンさんとお母さんの墓は容易に見つかった。個人的な事で恐縮であるが、私の家の墓とは至近距離であった。
 墓碑にはお二人のお名前と生年没年月日が彫られてあり、逆算するとマッキンノンさんが母上と生き別れになられたのは、マッキンノンさんが十九歳の時であった。私は讃美歌の一つや二つは歌えるが、ここではマッキンノンさん作曲の寮歌を歌おうと思った。
 私のテノールは無人の霊園に響き渡った。寮歌は日本人好みの物悲しい短調の旋律だった。
 それはマッキンノンさんの体の半分を流れている日本人の血がむせび泣いているのであり、母上に対する若いマッキンノンさんの気持が嗚咽しているのだと思った。
時空を越えて遠かったマッキンノンさんは目の前におられた。私はマッキンノンさんの半生を思った。万華鏡を見る思いだった。

                    (川野蓼艸氏寄稿)

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2005年8月19日 (金)

世界創造の時

大脳穿つ衝撃 歪んだ神の攻撃

心を閉ざす障壁 これが社会のジョーシキ

今日も膨らむ被害妄想

夢を持てない冷めた構造

神を畏れぬカネの暴走

全部壊して僕は逃走

毎日流れる殺人のニュースに飽きて

僕は粗大ゴミの日にテレビを捨てた

世の中を見渡せばどこもかしこも情報が巣食い

マインド・コントロールされた群衆が消費生活を楽しむ

煩悩天使出撃 淫らな愛の口撃

隣人隠す刑歴 これが世界のジョーシキ

廃墟さまよう夢の葬送

理想国家をうたう幻想

神を争い今も戦争

全部壊して世界創造

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2005年8月18日 (木)

街の人々

街の人々は今日も 暗黒の空に潰されて
夢を奪われ 愛を失い 不安な日々をすごしている
こんな時代に生まれたことを 呪い あきらめて 死んでゆく

街の片隅で今日も 断末魔の叫び 聞こえる
希望を砕かれ 絶望に泣いて 人が人を殺して笑う
こんな世界に生きていくことを 望みはしないと血を流す

戦争 革命 今日もどこかで 誰かが血を流している
明日も見えず 笑うことさえ 忘れたままただ生きてゆく日々
誰も彼も 死に急いで また街に墓碑が増えゆく

街の人々に僕は 何をすることができるのだろう?
愛の詩を書き 夢を歌って 笑顔を取り戻せるなら
僕は歌うよ 希望の歌を 春風に愛を奏でよう

街の人々は今日も 悲しみとともにあるけれど
君の優しさ その笑顔は 誰かの胸に響いている
こんな世界に生まれたけれど 僕は君に会えて良かった

殺戮 貧困 悲劇の連鎖は 今もまだ続いている
だけど今日も この瞬間も 希望の子どもが生まれている
そしていつか この街にも 平和な日々が訪れるよ

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アフリカン・ビューティ

あふれだす 甘いメロディ

君からの 風に撫でられ

アフリカの 太陽さえも

君のため 色褪せてゆく

叩こうよ 大地のリズム

戦おう 大地に立って

響かせる 僕の鼓動を

アフリカの 甘いメロディ

君といる 柔らかな時

アフリカの 草原をゆく

黄緑と 青の世界へ

叩こうよ 原始のリズム

ただいまと 原始の森へ

響き合う 愛のメロディ

たまには軽いノリの詩を。「ことばの遊び人」、Keitenです。この他にも、最近発掘した、大学時代の「おふざけ詩」が3点あるんですよ。『ヒーロー』『玄関マットのブルース』『消化器の挽歌(エレジー)』……これらはUPしない方がいいですね(笑)

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2005年8月15日 (月)

ボタン

真っ白い壁にただ1つのボタンがあった
丸い小さなボタン それ以外は何もない
そのボタンは何色でもなかった
そのボタンは全ての色をしていた
赤であり 白だった
黒であり 黄だった
青であり 緑だった
紫であり 透明だった
これは何かのスイッチだ
社会通念が耳元でささやく
これを押したら何かが起こるはずだ
だけど一体何が起こるのだろう?
良いこと? それとも悪いこと?
これは死刑囚に薬物を注射するためのボタンだろうか?
それとも核ミサイルを発射させて
地球を滅ぼすためのボタンだろうか?
あるいは大金持ちのロバートが恋人にプロポーズする時に
打ち上げるハート形の花火の点火ボタンかもしれない
いや もっと実際的な疑問がある
果たしてこのボタンは
僕が押しても良いのだろうか?
でも……
僕は振り返る
ここには僕しかいない
どこまでも広がる一面の白い世界
雪ではない 無機質な白
空さえもなく ただ白い空間がそこにある
地平線などない 見わたす限り白があるだけ
死刑囚もいない 核ミサイルもない
大金持ちのロバートも
たぶん美しいだろうその恋人のスーザンもいない
この僕と 全ての色を持つ丸い小さなボタンだけが
この世界の色彩の全てだ
何もないこの世界でボタンを押したら
一体何が起こるというのだろう?
もしかしたら僕の身に何かが起こるのかも知れない
だってこの世界には僕とボタンしかないのだから
僕はボタンを前にして途方に暮れた
僕はボタンを前にして6日間考え続けた
そして7日目に僕は決断した
何が起こってもかまわない
だってこの世界には僕しかいないのだから
ふるえる指先でそっと
しかし確実にボタンを
押した

どこかで何かが開く音がした

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流星と僕

星が流れる 遥か夜空を 真二つに裂いて

あたたかな木々が 優しく根付く この世界で

僕は笑って いつも過ごした 柔らかな時間

流れゆく時に 包まれていた あのメロディと

星が流れる 僕の世界を 真二つに裂いて

分かれゆく世界 君の世界に 僕はいない

軽い存在 重い絶望 何もかも消えて

凍りつく時が 苦しまぎれに 愛を叫ぶ

星が流れて 時が流れて そして今ここに

新しい風が 心の中に 吹き始めた

僕は見上げる 星が流れて 天空に描く

キラメク滴よ 流星となり 僕の胸へ

星が流れる 僕は微笑む そして今ここに

流れゆく夜に 僕は描こう この想いを

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2005年8月13日 (土)

憂鬱

一体どうしたのだろうこの国は?

街をゆく女の子はみんな浜崎あゆみの顔をしている

一体どうしたのだろうこの国は?

痩せている子までもがみんな痩せようとしている

一体どうしたのだろうこの国は?

電車の中ではみんなケータイをいじっている

一体どうしたのだろうこの国は?

流行だけを追いかけている

一体どうしたのだろうこの国は?

色とりどりの絶望の中でみんな幸せに暮らしている

一体どうせよというのだ僕の夢は?

頭の中でもがいている

一体どうせよというのだ僕の愛は?

閉じ込められた嵐のようだ

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英語のデザイン

 Tシャツやバッグに英語をあしらったデザインは相変わらず多い。

 しかし、よく注意しないと、なかにはとんでもないことを書いてあるものもある。

 先日、電車の中でパンク風の格好をしている少年を見かけた。かれの持っていた毒々しいデザインの黒いリュックサックには、英語でこう書かれていた。

 SATANISM

 「悪魔崇拝」という意味である。いくらなんでも……と思ったが、だがこの場合、かれ自身も承知の上なのだろうと納得できた。

 しかし、今日電車の中で見かけた親子の例には閉口せざるを得なかった。5歳くらいの男の子が着ていた紺色のTシャツには大きな黄色いアルファベットで、

 FBI

 と書かれていた。最初、デザインの点からいっても、これはアメリカ映画などでおなじみの「連邦捜査局(the Federal Bureau of Investigation)」のことかと思った。しかし、次の瞬間、目を疑った。「FBI」の文字の下に、小さな黄色いアルファベットでこう書かれていたのである。

 FEMALE BODY INSPECTOR

 日本語に訳すと、「女体調査官」である。英語の意味を知らずに着せているのだろう。

 このような例があるので、英語をあしらったTシャツなどを買う時、その意味がわからない場合は、辞書を引くことをお勧めしたい。

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R.N.マッキンノンさんの事 第1回

 私が金澤の旧制高校に入ったのは昭和二十一年秋の事だった。考えてみるともう五十九年も前の事である。
 そして昭和二十一年から五十九年さかのぼると何と明治二十一年になる。日清戦争の六年前なのだ。昔の事を書いてもお若い方々には興味が湧かないかもしれない。
 入学と同時に時習寮というのに入った。入ると毎晩寮歌の練習が行われた。寮では毎年秋に記念祭が開催され、その際、その年の寮歌が発表される事になっていた。
 寮歌にも色々あって、末長く歌われるもの、自然に歌われなくなるものとあった。
 私は寮歌集をめくって一つ不思議な寮歌のあるのを発見した。第四十八回記念祭寮歌というのであり、私の知らない寮歌であったが、不思議というのは作曲者がR.N.マッキンノンと佐々木文平の二名になっている事だった。
 戦前、日本の高等学校に外国人が在学していたのか。作曲は外部に依頼したのか。いづれも考えられない事だった。
 私は当時仲のよかった友達の下宿に遊びに行くと、石田さんという金沢医大(現・金沢大学医学部)の先輩がいて、寮歌集を見ながら、おや、マッキンノンさんが作曲した寮歌があるんだな、と言った。
 私はかねてから不思議に思っていたので、
 「うちに外国人がいたんですか。」
と聞くと、石田さんは、
 「いたんだ。小樽高等商業の英語の教授の子息でお母さんは日本人だった。背が高いから剣道の時には坐っていても一人つくんと目立ったそうだ。面を叩かれると痛かったというね。
 彼は何度も東京のアメリカ大使館に呼ばれ、
国籍をどちらにするかと聞かれたそうだ。
結局は彼はアメリカを祖国に選んだ。アメリカは国籍は生地主義だったんだね。
 昭和十六年十二月八日、第二次大戦が始まった。彼はその頃蹴球部の塾にいたんだ。今ではサッカーというが当時は蹴球だった。
 塾も運動部の連中が一緒に寝泊りするのをいったんだが、まあ、合宿所だな。
 朝早く憲兵と特高が彼を拘束に来た。彼は部員を全部集めて言った。諸君の国と俺の国が戦争をする事になった。
 もし諸君が戦場で俺を見たら遠慮なく俺を撃て、俺も君達を見つけたら銃の照準を定め、目を瞑って引金を引くだろう。今日までの君達の友情には心から感謝する。健康を祈る。こう言って一人一人を抱きしめ連行されたそうだ。
 彼は裁判所の裏の教会の牧師館に収容されたらしい。運動部の連中はウオーミングアップとして外堀を一周するんだが、その牧師館の前を通るんだな。聞こえるかどうか分らないのに、皆、マッキン、頑張れ、くたばるな、と叫んだというね。俺の知っているマッキンノンさんの知識はこれだけだ。」
と言った。何しろ終戦の翌年の事だから石田さんの情報がそこで終っているのは当然だった。
 その後、私は年を経て当地で開業した。その頃から新聞でワシントン大學日本文学科教授・R.N.マッキンノンの署名入りの記事を目にする様になった。
 私は、あゝ、これはあのマッキンノンさんに違いないと思った。今回、母校から戦後史が発刊された。それによればマッキンノンさんは昭和十七年春に交換船浅間丸で帰国、米軍言語将校になられたという。
 フィリッピンで日本軍に対して投降勧告のビラの作成に従事されたとか。
戦後、マッキンノンさんは何度も来日され旧友に会われたという。その中にフィリッピンでそのビラを読んだ人がいた。

                    (川野蓼艸氏寄稿)

今回から週1回、全5回の形式で、蓼艸さんの『R.N.マッキンノンさんの事』を連載します。もともとこれは医師である蓼艸さんが医師会の会報のために書かれた文章なのですが、僕は前田圭衛子さんの連句誌『れぎおん』に転載されたものを読み、それが非常に面白かったので、今回、蓼艸さんに頼んでこのブログに再び転載させていただくことになりました。転載するにあたり、蓼艸さんがこのブログ用に多少書き直してくれたことに深く感謝しています。

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2005年8月10日 (水)

流星三首

ペルセウス流星群の降り注ぐ夜は仲間とともに寝そべる

指をさす方角にもう流星はないがついつい指さし叫ぶ

指さして間に合うほどの長き尾の流星見ればもれるため息

天文同好会時代のことを思い出しながら、歌にしました。今年のペルセウス流星群の「極大」は、8月12~13日未明だそうです。12日の夜、晴れていたら夜空を見上げてみてください。しばし夜空を見上げていれば、都会でも何個か流星が見られるはずです。曇っていても、大きな流星なら、雲を突き抜けて見られますよ。

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2005年8月 6日 (土)

青い地球

真二つに青い地球が割れたなら火星挟んでサンドイッチに

バリバリと地球の殻が割れたなら生まれるものは何の赤ちゃん?

月と地球、火星、金星突き刺して焼いて食べるは神の御業か

今回はちょっと「おふざけ」な感じの短歌にしてみました。たまにはこんなものも、と思いまして……え? いつもと変わらない?

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2005年8月 4日 (木)

なす【茄子】

nasuナス科の野菜で、栽培上は一年草。インド原産とされ、広く温帯・熱帯で栽培。茎は80センチメートルに達し、葉は卵形。夏・秋に淡紫色の合弁花を葉のつけ根に開く。果実は倒卵形・球形または細長い楕円形で、紫黒色または黄白色、長さ20センチメートル以上になるものもある。食用とする。栽培品種が極めて多く、加茂茄子など各地方に独特のものがある。[季]夏。

     岩波書店『広辞苑 第五版』より

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2005年8月 1日 (月)

連句入門 第9回

   第三~虚構への入口~

 発句から数えて3句目の長句(5・7・5)を「第三」といいます。第三には季語を入れる場合と入れない場合があります。たとえば発句が<春>もしくは<秋>の場合、<春><秋>は「3句以上5句まで続ける」というルールがありますので、必然的に発句が<春>なら<春>、<秋>なら<秋>、ということになります。発句が<夏>、<冬>の場合、<夏><冬>は「1句以上3句まで続ける」というルールになっていますが、これらの季節はほとんどの場合2句まででやめるので、大抵は<雑>になります。もちろん、<夏>、<冬>になることも皆無ではありません。

 第三のもう1つのルールとして、句末を「に」「て」「にて」「もなし」「らん」のいずれかで止めるというものがあります。これは連句を「虚構の世界」に持ってゆくため、などといわれていますが、むつかしいことはともかく、とりあえずは「そういうことになってる」と思っていただければ結構です。

 「虚構の世界」という言葉が出てきましたが、第三は「虚構の世界の入口」であるということが最大のポイントなのです。発句では当日のその場その時、または挨拶などを詠みました。脇ではその発句にベタ付けに付けました。そして第三から「虚構の世界」へと入ってゆくのです。それは、発句、脇とは全く違う世界観の句を詠むことに他なりません。「全く違う世界観の句を詠む」ということを連句では「転じ」といいます。この「転じ」を繰り返して進んでゆくのが、連句なのです。

   「打越」の障り

 連句では直前の句を「前句」、さらにその前の句を「打越」といいます。連句ではこの「打越」と同じイメージ、同じ世界観になることを嫌います。ところが、連句をしていると連衆の中からそのような句が出てくることも、多々あります。そのような句は「打越に障っている」、「打越している」といって、捌きはそれを採用しないことになっています。

 では、どのような句が打越に障るのでしょうか。以下、実例を見てみましょう。

  鈴虫や故郷の風に撫でらるる

   空に磨きぬ真円の月

  松虫の値札こっそり貼り替えて

 これは、「鈴虫」と「松虫」が同じ「秋の虫」です。連句では打越と付け句で同じようなものが出てきてはいけないのです。

  鈴虫や故郷の風に撫でらるる

   空に磨きぬ真円の月

  望郷の歌を雲間に届かせて

 この場合は、発句が故郷を懐かしむような句であるのに対し、第三も「望郷」が詠まれていて、同じようなイメージとなってます。このように、前句を挟んで打越と付句のイメージが同じになってしまうことを「観音開き」といって、これも典型的な打越の障りです。

  鈴虫や故郷の風に撫でらるる

   空に磨きぬ真円の月

  デパートの撫子までを散歩して

 これは打越のイメージとは重なるものはありませんが、同じ「撫」の字が入ってしまっています。これを「同字」の打越、といいます。

  鈴虫や故郷の風に撫でらるる

   空に磨きぬ真円の月

  コスモスの色が水面に輝きて

 これは一見すると、打越とイメージが重なっていませんし、同字も出てきていません。しかし、これは打越に障っているのです。どうしてかというと、打越が「場」の句であるのに対して、付け句も「場」の句になっています。つまり、これは「場」の打越です。これと同様に、人情句も「自」同士、「他」同士、「自他半」同士が打越になってはイケナイのです。付け句をする場合は、自他場も気にするようにしましょう。

 打越の障りは、おおざっぱにいえばこんなものです。あとはこれから付け句を進めていく流れの中でその都度、説明していきます。

 さて、では『歌仙「猿の横顔」の巻』では実際にどのように付けたかというと……

  鈴虫や故郷の風に撫でらるる

   空に磨きぬ真円の月

  柚子風呂は入浴剤と噂して

 「場」の句の打越にならないように、人情を入れました。「噂して」なので、人がいるという理屈です。季節は「柚子」で<晩秋>……のつもりだったのですが、後日、あらためて『季寄せ』を引いたところ、「柚湯」「柚風呂」は<仲冬>でした。これは失敗。まあ、「入浴剤」なので、<晩秋>でも良いということで……。

 失敗といえば、僕はあまり詳しくないのですが、芭蕉もかなり失敗をしているそうです。だからといって、芭蕉の評価が変わるわけではありませんね。ですから、失敗などはあまり気にせず、のびのびと、自分や仲間たちが楽しめれば良いのです。

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