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2006年3月12日 (日)

我が卒後五十年録 第3回

 当日が日曜日であったのに、火曜日にはマリちゃんから歌集が届いた。本は六百部作り全部人に送ったので手元にはないと言い、歌集全体をコピーしてあった。歌集名は熱情ソナタであり、アパッショナータとルビが振ってあった。

 私は一気に通読し驚いた。如何にも若い女性らしい初々しい清新な歌集であった。総合短歌雑誌には現代の一流歌人と言われる人達の短歌が載っているが、中には馬鹿々々しいのが混じるのに、これは見事な短歌群であった。私はすぐに電話して取りあえず称賛の言葉を述べた。順次読んでゆく。

   旧約の系譜のごとく我もまた子を産みて死ぬたったそれだけ

 旧約聖書を読むと誰それが誰それを産み、誰それが誰それを産み、というのが延々と続く。自分もその一員の様なもので、ただ子供を生み、死ぬだけだという感慨である。これは我々男にも通用する感慨である。

   発眼せしころに絶ちたるわが胎児風強き日に耳もとに来る

 他に四回孕み二児を得た、という歌もあるので、何らかの理由で中絶せざるを得なかったのであろう。女として悲痛な思いであったろう。拙宅でも経験があるが、その夜は夫婦で暗然とした気持で過ごしたものである。発眼せしころ、という表現が壮絶である。

   ボタン一つで鉄扉は閉まりああ汝の三十七年焼かれてしまふ

   引き出されし骨の白さに立ち竦むぬくき台車を子らと囲みて

   一心に連弾をする姉妹あり教則本は姉がめくりて

   妹の白衣は処分したのかと寡黙な母に今日も問へざり

   稲の花かすかな風に揺れやまず胎ひらかれず逝きしいもうと

 三十七歳で結婚もする事なく逝った妹に対する挽歌の、何と痛切な事であろう。一言も悲しいとか、辛いとか言ってはいないのに大きな悲しみが誰の胸にも伝わろう。

   もう妹に関する諍ひのなくなりて父母はしづかに向かひて食す

   一年祭のをはるころには時雨きて父母は泣かずに座りてゐたり

 友人夫婦も辛かったであろう。互いに娘の死について言い争う事のなくなるのには一年はかかったのだと思うと、私と彼は仲がよかっただけに涙が出た。逆縁は人にとって最大の不幸である。親より先に死んではならぬ。

   一周忌すぎてやうやくわが夢に顕ちたる妹夢にても死す

 一周忌が過ぎて妹の夢を見る。その夢の中でも妹は死ぬのだ。一緒にピアノの連弾をした妹は夢の中でも死ぬのだ。作者の妹さんへの思いは深い。

   四肢折りて死ぬ鹿のごと諦めしピアノが残るわたくしの部屋

 妹さんの死が先なのか、自分の眼の疾患が先なのか、明記されてはいないが、もう弾く事のないピアノが死ぬ鹿の様に部屋に置かれてある。音楽を学び音楽を捨てる決意は如何ほどであったろう。死ぬ鹿という比喩が重い。

   錫婚となりたる我らに会計は別にするかとウェイトレス問ふ

 珍しく諧謔の歌である。読んだだけで情景は誰にでも分るであろう。こういう歌に会うとほっとする。

   排卵のありて性欲のぼりゆくこの単純もあとわづかなり

 これも珍しく自分の性について詠っている。我々男にとって女体というものは神秘そのものである。妊娠、悪阻、分娩、哺乳、育児、どれをとっても男には分らない。

 これは見事な歌集である。私は読了した時、言い様のない感慨にとらわれた。行間から作者の啜り泣きが聞こえる。

 同じ学校に学び、ある者は死に、残った者も星の命に較べれば瞬間の生しかもはやないのだ。殆どが医師として人には言えぬ修羅と運命を背負って残照を何とか生きているのだ。

               (川野蓼艸氏寄稿)

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コメント

このあたりへ来ると空色になるテンプレート。拝読いたしました。
私もマリさんの歌を読んで涙ぐみました。もう妹に関する諍ひのなくなりてという歌のところまできてです。
ボタン一つでという歌は18年前41歳で男の子2人を残して亡くなったきれいだった友達の火葬場の事を思い出しました。やっぱり鬱病でした。
私も姉妹2人ですから、でもありふれた2人ですから山、谷はありますが、平々凡々な生活を送ってきました。でも2人姉妹はちょっと感情が特殊で不可思議なところがあるかもしれません。姉は妹の事を小さい頃からとても気にかけて育ちますから。どの兄妹もそうですけど。
蓼艸さん、ありがとうございました。

投稿 barazusi | 2006年3月14日 (火) 10:28

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