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2006年3月26日 (日)

カナダ大使館

jushoshiki  先日、カナダ大使館で開催されたフランス語俳句翻訳コンクールの授賞式がありました。僕は「入選」であり、「入賞」ではないので、僕自身が受賞されるわけではなかったのですが、せっかく招待されたのだし、大使館などというところに行く機会もなかなかないので、行ってみました。

 カナダ大使館地下2階の小さなホールには、50人程度の人たちが集まっていました。草門会の仲間であり、僕の大学時代のフランス語の先生でもある村松先生と合流。授賞式はまだ始まらないようなので、一緒にホールの中を見て回りました。壁際に沿って並べられた50㎝四方のガラスケースの中には、それぞれセイウチやシロクマなどの可愛い彫刻が展示されていました。カナダの国土の多くは北極圏にあるので、そういった動物がいるんですね。その他にも、セイウチのキバで作られた(?)イヌイットの遊び道具というものが展示されていましたが、どんな風に使って遊ぶのかは良くわかりませんでした。
 壁の一面には今回の入賞作品とおぼしき翻訳作品が筆で大書されたものが3つ並べて飾られてました。
 その中の1つが以下の作品です。

  パイプどこタバコどこどこパイプどこ

  trouvant la pipe
       cherchant le tabac
          cherchant la pipe

「これは僕も訳したけど、僕より上手いなあ」
 と、村松先生。確かに原句のコミカルさがよく出ていて、言葉がリズミカルに踊っているようです。

 授賞式は簡素なものでした。主催者等の挨拶、個々人への受賞、受賞作品の朗読……これだけです。
 授賞式の様子をデジタルカメラで撮影しようと司会者たちの正面へと回った時、僕はあることに気がつきました。司会者たちの後ろに先ほど村松先生と見た「筆で大書された」翻訳作品の4つめのものがあるということは、授賞式が始まった段階で気がついてはいたのですが……それはよく見ると、僕が翻訳したものでした。

  オレンジの皮子らの来て去りし跡

  pelures d'oranges
       les enfants sont venus
                    et repartis

 「入賞」ではないのが残念でしたが、数ある入賞、入選作品の中から書道家によって筆で大書された4枚のうちの1つが僕の翻訳作品であるというのは光栄でした。

 授賞式の後、ささやかなパーティー。
 といっても、料理が出るわけではなく、フルーツ味のビールとチーズだけでした。ビールは甘くて変な味でした。何種類かあったチーズも大して美味しいものではなく、中には兎小屋のようなニオイのするものもあり、それには閉口……。
 会場にいたフランス人(カナダ人はあまりいないそうでした)たちとフランス語で流暢にしゃべっている村松先生を見て、改めて偉大さを感じました。普段、連句の席では、出される句の巧みさはさることながら、ほとんどダジャレ好きのオジサンなのですが……さすがです。
 僕はというと、恐ろしいほどフランス語がわからない。ホールの片隅に飾られていたセイウチの彫刻のように、ついに一言も発することはありませんでした。我ながらダメだなぁ。
 それにしても村松先生は性格も日本人ではないようです。国籍を問わず、いろいろな人に話しかけてゆきます。その中の1人が有美(あみ)さんという女性でした。松田聖子に似た感じの美人。話しているうちに彼女は入賞者であることが分かりました。しかも、授賞式の前に見た、筆で大書された「パイプ」の句の翻訳者でした。
 せっかくなので記念撮影。有美さんと僕のそれぞれの翻訳作品の前で、彼女と一緒に写真を撮りました。撮影者は村松先生。

 その後、村松先生、有美さん、僕の3人で飲み会に行きました。有美さんはとっても楽しい人であることが判明。来月の草門会にいらしてくれるようなので、今から楽しみです。

keitenyaku

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2006年3月12日 (日)

我が卒後五十年録 第3回

 当日が日曜日であったのに、火曜日にはマリちゃんから歌集が届いた。本は六百部作り全部人に送ったので手元にはないと言い、歌集全体をコピーしてあった。歌集名は熱情ソナタであり、アパッショナータとルビが振ってあった。

 私は一気に通読し驚いた。如何にも若い女性らしい初々しい清新な歌集であった。総合短歌雑誌には現代の一流歌人と言われる人達の短歌が載っているが、中には馬鹿々々しいのが混じるのに、これは見事な短歌群であった。私はすぐに電話して取りあえず称賛の言葉を述べた。順次読んでゆく。

   旧約の系譜のごとく我もまた子を産みて死ぬたったそれだけ

 旧約聖書を読むと誰それが誰それを産み、誰それが誰それを産み、というのが延々と続く。自分もその一員の様なもので、ただ子供を生み、死ぬだけだという感慨である。これは我々男にも通用する感慨である。

   発眼せしころに絶ちたるわが胎児風強き日に耳もとに来る

 他に四回孕み二児を得た、という歌もあるので、何らかの理由で中絶せざるを得なかったのであろう。女として悲痛な思いであったろう。拙宅でも経験があるが、その夜は夫婦で暗然とした気持で過ごしたものである。発眼せしころ、という表現が壮絶である。

   ボタン一つで鉄扉は閉まりああ汝の三十七年焼かれてしまふ

   引き出されし骨の白さに立ち竦むぬくき台車を子らと囲みて

   一心に連弾をする姉妹あり教則本は姉がめくりて

   妹の白衣は処分したのかと寡黙な母に今日も問へざり

   稲の花かすかな風に揺れやまず胎ひらかれず逝きしいもうと

 三十七歳で結婚もする事なく逝った妹に対する挽歌の、何と痛切な事であろう。一言も悲しいとか、辛いとか言ってはいないのに大きな悲しみが誰の胸にも伝わろう。

   もう妹に関する諍ひのなくなりて父母はしづかに向かひて食す

   一年祭のをはるころには時雨きて父母は泣かずに座りてゐたり

 友人夫婦も辛かったであろう。互いに娘の死について言い争う事のなくなるのには一年はかかったのだと思うと、私と彼は仲がよかっただけに涙が出た。逆縁は人にとって最大の不幸である。親より先に死んではならぬ。

   一周忌すぎてやうやくわが夢に顕ちたる妹夢にても死す

 一周忌が過ぎて妹の夢を見る。その夢の中でも妹は死ぬのだ。一緒にピアノの連弾をした妹は夢の中でも死ぬのだ。作者の妹さんへの思いは深い。

   四肢折りて死ぬ鹿のごと諦めしピアノが残るわたくしの部屋

 妹さんの死が先なのか、自分の眼の疾患が先なのか、明記されてはいないが、もう弾く事のないピアノが死ぬ鹿の様に部屋に置かれてある。音楽を学び音楽を捨てる決意は如何ほどであったろう。死ぬ鹿という比喩が重い。

   錫婚となりたる我らに会計は別にするかとウェイトレス問ふ

 珍しく諧謔の歌である。読んだだけで情景は誰にでも分るであろう。こういう歌に会うとほっとする。

   排卵のありて性欲のぼりゆくこの単純もあとわづかなり

 これも珍しく自分の性について詠っている。我々男にとって女体というものは神秘そのものである。妊娠、悪阻、分娩、哺乳、育児、どれをとっても男には分らない。

 これは見事な歌集である。私は読了した時、言い様のない感慨にとらわれた。行間から作者の啜り泣きが聞こえる。

 同じ学校に学び、ある者は死に、残った者も星の命に較べれば瞬間の生しかもはやないのだ。殆どが医師として人には言えぬ修羅と運命を背負って残照を何とか生きているのだ。

               (川野蓼艸氏寄稿)

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