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2006年4月29日 (土)

魔法使いブラン~巨大いん石衝突を回避せよ!!の巻~第3回

 タロウが家に帰って手を洗うと、真っ先に行くのは台所です。戸棚から、ヒーローの絵が入ったお気に入りのグラスを取り出し、冷蔵庫を開けます。そして牛乳を取り出して、グラスに注ぎながら、途中で一口飲み、おいしさを確認したら、なみなみとグラスに注ぎ、牛乳パックを冷蔵庫へとしまいました。
 グラスに注いだ牛乳を飲みつつリビングに行くと、パパが何やら深刻な顔をしながら、テレビをじっと見つめていました。ニュースを見ているのです。ニュースを見ている時のパパはたいてい真剣な顔をしている場合が多いのですが、今日は一段と厳しい表情をしていました。腕を組み、眉の間にしわを寄せ、口は固く閉ざされたまま、リビングに入ってきたタロウにも気づかないほどテレビのニュースにくぎづけになっています。
 テレビ画面にはモンド村の地図が大きく映し出されていました。そのちょうど真ん中辺に大きな×印がつけられています。タロウには、何がなんだかさっぱりわかりませんでした。
 タロウはパパに、
「何のニュース?」
 と聞きました。
 するとパパは、やはりタロウの存在に気がついていなかったらしく、少しびっくりした様子で振り返りました。しかし、すぐに元の深刻な表情になると、
「モンド村に巨大いん石が落ちてくるらしい」
 青ざめた顔で言いました。
「へえ~、モンド村に巨大いん石が……」
 言いながら、タロウは牛乳を口に含みますが……。
 次の瞬間、口の中の牛乳を勢いよく全部吹き出してしまいます。
「ええっ!? それじゃモンド村はどうなっちゃうの?! みんなはどうなっちゃうの?!


 翌朝から、あわただしい集団避難が始まりました。洋服、タオル、缶づめ、貴重品……人々は皆、両手いっぱいに持てるだけの荷物を持ち、田舎に親戚のある家族は、その親戚の家に、それ以外の家族はモンド村の周辺の町や村に行きました。
 タロウの家族は、隣町「ボワザン」にやって来ました。この町の小学校の体育館に避難するよう、自治体の指示があったからです。
 体育館の中は、同じように避難してきた大勢のモンド村住民でひしめき合っていました。皆、体育館内に敷かれた青いビニールシートの上の思い思いの場所に座りながら、口々に不安や恐れを語り合い、ざわめいています。
 タロウは人々の不安げな顔を見渡しているうちに、その中に見知った顔を見つけました。
 ボブでした。タロウはビニールシート上にわずかに残されている「青」の部分を踏みながら、ボブのところへかけつけました。
「ボブ!」
 呼びかけられて、ボブが振り向きます。
「なんだタロウも来てたのか。チェンもキャスも来てるぜ」


 体育館内の喧噪の中では話がしづらかったので、タロウとボブ、チェン、キャスの四人は、体育館を出て、校舎の裏へと移動しました。
「校庭に何を作っていたんだろう?」
 タロウが他の三人の誰にという風にでもなく言いました。ここに来る時に通りかかった校庭では、大勢の大工さんたちが大急ぎで何かを建てていました。棟梁らしきおじさんが、声を荒げて、いろんな方向に向かって指示を飛ばしているのが、風に乗ってここまで聞こえてきます。
「仮設住宅さ」
 答えたのは、みんなの中で一番頭の良いチェンでした。
「カセツジュウタク?」
 ボブが、わけがわからない、というような顔をしました。
「三日後には直径一キロのいん石が落ちてきて、モンド村は跡形もなく消えちゃうんだ。住む家がなくなっちゃったら、みんな困るだろ? だから、政府があちこちの空き地に急ピッチで仮設住宅を建ててるんだよ」
 全員、しばらく声を失ってしまいました。
 巨大いん石がモンド村を壊してしまう、という恐ろしい現実をあらためて実感してしまったのです。
 うつむいたまま、まるで地面に話しかけるようにして、キャスが口を開きます。
「ママがおばあちゃんの形見だって言って、パールのネックレスを持ってきてたわ。パパも先祖伝来のかけじくを大事そうにかかえてた。人間って、こういう時は一番大切な宝物を持って避難するんだな、って思ったの。でもね……」
 キャスの声が、ふるえはじめました。
「でもね……私の一番の宝物は、去年も一昨年も、その前の年も、私の誕生日にパパが私の身長を測ってつけてくれた、家の柱のキズなの。ママがクッキーの焼き方を教えてくれたキッチンなの。みんなと会えた学校も、エストの森も、みんな私の大切な宝物なのよ!」
 キャスはとうとう両手で顔を覆って泣き出してしまいました。
 タロウの心は悲しみでいっぱいになりました。
(なぜこんなことになったんだろう?)
 と、タロウは考えました。もちろん、巨大いん石が落ちてくることに理由などあるわけはありませんし、考えたからといって、なんの解決にもなるはずはありません。しかし、考えずにはいられませんでした。
「こんな時、魔法が使えたら……」
 タロウは思わずつぶやきました。
 その時、
「どうやら魔法使いの出番みたいだな」
 という、ちょっとナマイキな声がしました。声は、空からでした。
「ノワール!」
 叫んだみんなの声に、にやり、とナマイキな笑顔をうかべると、漆黒の魔法使いは、ふわりと地面に降り立ちました。
「大変なことになったな」
 ノワールは全ての事情を知っている様子でした。
「でも、オレ一人の力じゃどうにもならない。とにかく、ブランのところに行くぞ」
 そう言うとノワールは、
「セ・サンパ!」
 と、タロウたちに魔法をかけ、みんなを連れてエストの森へと飛んでいきました。


       -つづく-

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2006年4月28日 (金)

旧制高校 第3回

 大阪大学、名古屋大学は旧帝大だったが、医・理・工の理科系しかなかった。戦後、法学部、経済学部が新設された。   
 しかし医学部を目指していた者が、急に新設の阪大、名大の法科や経済にはいけない、という気持もあって人気はなかった。しかしどこへも行かないよりはというので、やむなく入学する者もいた。無試験であった。
 これらも今や大変入りにくい学部だと聞いているが、当時の実情はこんなものだった。同大学の同学部関係の方には誠に申し訳のない言い方で、お詫びするしかない。
 Eはこのやむを得ずの口だった。日立の本社の出世頭で当時既に部長代理であった。電話すると秘書が出て、私がどういう人間か分らぬのでしきりに探りを入れる。
 私は医者だ、怪しい者ではない、でやっと彼は出た。
 「はいはい。Eで御座います。川野さん。ほう、思い出しませんなあ。金沢でですか。」
 「何言ってんだ。寮でお前が南寮四号、俺はその上の五号で、俺が夜中に雪の中へ窓からションベンすると、お前も下でちょうどやっていて、お前がチキショウと言ったではないか。俺だってば。川野だってば。ユスリやタカリじゃないんだってば。」
 これが十分ばかり続いて、やっと、何だ、お前か、となった。
 この時の、はいはい、Eで御座います、という言い方は如何にも今全日立を背負って自分は頑張っているのだ、という自信に満ち溢れていた。Dのぼそぼそとは格段の差であった。私は電話一本の最初の瞬間で、その人の過去一切が浮かびあがる様な気がした。
 Fは全くと言っていいほど手がかりがなかった。唯一、ある者が東大受験の時、吉祥寺のプラットフォームで会って少し話をした事がある、という情報だけだった。
 これだけではどうにもならない。諦めるしかないと思っていたのだが、これもある夜、ひょっとするとと思って、三多摩の電話番号簿を見てみると、武蔵野市吉祥寺に同姓同名の人が出ているではないか。
 これが私の探しているFかどうか。殆ど違うとしか思えなかった。夜の十時だったが電話してみると夫人が出て来て、確かにFですが、貴方様の探している人と私の夫が同一人物かどうか分りません。金沢の学校ですか。どうでしょう。聞いた事はありません、という返事であった。
 私はやはり人違いだと思った。もしそうなら直ぐに向こうから電話が返って来そうなものだが、なかった。
 しかし一週間後、手紙が来た。確かに私は貴方が探していらっしゃるFです。私は当時金もなく、進学も失敗し挫折した人間です。金沢の事も含めて過去の事は一切家内には伝えていません。貴方のお役に立つ事がたった一つあります。   
 それはクラスの卒業写真の裏に、どれが誰だか全部名前が記入してあります。名前と顔が一致せず、お困りだと家内から聞きましたが、これをご覧になれば私のクラスは一目瞭然です、という文面であった。
 彼の仕事は夜だ、と夫人が言っていたので警備員の仕事かも知れない。私は充分な謝意を表して写真を送り返した。
 Gは東京教育大学(現・筑波大学)に行った事は分っていたが、大学本部に聞いても住所は不明であった。
 百二十名のうち彼を残すのみであった。あちこち照会をしているうちに、彼の本籍は滋賀県の田舎だと言ったのがいた。私は滋賀県の大津、彦根以外の自治体全部に当たっていくうちに、ついに小さな町に彼の本籍があるのを突き止めた。
 そこから先の手続きはもう何人もこなしていたので訳はなかった。電話に出た彼は勤めていた高校をやめ、家内の実家の事業を手伝っている、と言った。私は大学に連絡しろ、行方不明者になっているぞ、と言った。
 私はついに家から一歩も出る事なく百二十名を探し当てる事が出来た。梅の咲く頃から始め、翌年若葉の頃になっていた。そして昔見たフランス映画「舞踏会の手帳」を思い出した。未亡人となった美人女優が、昔の恋人を尋ね歩く映画であった。自殺したり、彼女に失恋して神父になっていたり、やくざ、町長、堕胎医になっていたりした。
 私は集合写真の全員の名前と、住所を小冊子にして皆に配った。礼状の中に若山牧水の「かたわらに秋草の花語るらし亡びしものは美しきかな」を書いてきたのがいた。
 我々自身が美しいと言うのではない。我々が死に絶えれば旧制の教育を受けた者は完全に地上からいなくなるのだ。
 日の当った者、妻にも過去を語る事のなかった、日の全く当らなかった者、私は光と影を見る思いであった。
 影の者、それは自らの罪ではない。教育改革の狭間にあって、翻弄された水泡なのであった。

               (川野蓼艸氏寄稿)

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2006年4月25日 (火)

魔法使いブラン~巨大いん石衝突を回避せよ!!の巻~第2回

 マウンドに立ったのは、みんなの中で一番の力持ちのボブです。
 ピッチャーはいつもボブと決まっていました。かれは、根は優しいのだけれど、ちょっと乱暴でわがままなところがあり、特に野球となると、誰にもピッチャーをゆずりませんでした。
 野球といっても、かれらはブランも入れてたったの五人しかいなかったので、この場合は「三角ベース」でした。三塁はなく、一塁と二塁とホームがあるだけです。キャッチャーはブラン、一塁はキャス、二塁はチェンが守っています。外野には誰もいません。
 最初にバッターボックスに入ったのは、タロウです。
「プレイボール!」
 ブランのかけ声で、ゲームが始まりました。
 体の大きなボブの手からくり出される剛速球に、タロウは手も足も出ず、あっという間に三振に打ち取られてしまいます。 
 タロウはとぼとぼと一塁に向かいました。もちろん、出塁ではありません。「守備交代」です。五人しかいないかれらは、それぞれがその時にあいているポジションに入るのです。だから当然、だれがどっちのチームかというのもなく、勝敗もつねにあいまいです。
 でも、かれらにとって、そんなことは大きな問題ではありません。ただ、野球が楽しめればよいのです。
 今度はキャスがバッターボックスに入りました。
 ボブは、みんなで作ったルール通りに、女の子のキャスに対しては「下手投げ」でボールを投げました。「上手投げ」よりも球のスピードは遅くなりましたが、それでもキャスはバットに当てることができず、彼女もまた三振に倒れました。
 キャスが元の一塁手に戻ると、タロウは次は二塁を守り、今度はチェンが左のバッターボックスに立ちました。チェンは先の二人よりも断然野球が上手く、さすがのボブも、かれに対しては慎重になりました。
 ボブは初球、ストライクゾーンぎりぎりの低めのストレートを投げました。打ち方の上手なチェンは、この速球をあざやかにバットにとらえましたが、これはファウルでした。
 ボブはストレートだけでなく、カーブやフォークも投げました。
 みんなが息をのんで勝負を見つめる中、ボール・カウントはついに、二ストライク・三ボールになりました。次の一球が勝負です。
 ボブは渾身の力を込めて剛速球を投げました。
 しかし、チェンのスイングが巧みにこれをとらえ、力強く打ち返されたボールは、一塁と二塁の間を抜けていきます。
 足の速いチェンは、タロウがボールを拾った頃にはもう一塁を回り、あっという間に二塁へと進みました。あざやかな二塁打です。
 だれか一人が出塁してしまうと、もう人数が足りませんでした。さすがのブランの魔法でも、人間を作ったりはできません。
 みんなが困り果てていると、その時、
「野球やってんのか? オレも入ってやってもいいぜ」
 という、ちょっとナマイキな声がしました。声は、空からでした。
 みんなが空を見上げると、そこにはブランとよく似た姿形をしたもう一人の魔法使い「ノワール」が、ふわふわと浮かんでいました。
 ブランと同じく猫のような耳が付いていますが、ブランよりも背が高く、やせていて、体の色はアスファルトに落ちた影のように真っ黒でした。
 ノワールは、ブランの魔法学校時代の同級生でした。おだやかでで優しいブランに対して、ノワールは、どちらかというとヒネクレ者でずるがしこい部類に入ります。けれども二人はなぜか仲が良く、隣町に住むノワールは、こうしてたびたびエストの森に遊びに来るのです。
 ふわり、と静かに地面に降りたノワールは、ブランたちのそばに来ると、
「人数が足りないなら、オレが入ってやるよ」
 と、再び言いました。つまり、仲間に入れてほしい、ということなのです。
 みんな大賛成でした。ちょっとヒネクレたところのあるノワールですが、かれもみんなのともだちなのです。
 プレイ再開です。全員がもとの守備位置に戻ったところで、ノワールがさっそくバッターボックスに入りました。
「バッティング練習してやるから、早くヘナチョコ球を投げてみな」
 と、ノワールはボブを挑発しました。
「何を偉そうに! おまえなんか三球三振にしてやる!」
 怒ったボブは、いっさい手加減をせずに、全力の剛速球を放りました。今日一番の速い球でした。
 ところが次の瞬間、雷のように速いノワールのバットが、カッ、と音を立てると、白球は見る見るうちに大空へと吸い込まれていきました。
 驚嘆と歓喜の声が同時に上がりました。ホームランです。
 これはノワールの作戦勝ちでした。怒って力一杯に投げられたボブの球は、確かに速かったのですが、投げられたコースは今までになかったくらい真っ正直な、ど真ん中のストレートだったのです。
 それに、ちょっとずるもしていました。みんなは気がついてはいませんでしたが、ノワールはこっそりと魔法を使っていたのです。
 ノワールの魔法は、
「物体を自由自在にあやつる」
 というものでした。例えば、かれがりんごに右手で触れて、
「セ・サンパ!」
 と、かれの「合い言葉」を唱えると、りんごはたちまち宙に浮かび、ノワールの思いのままに右へ左へと空を飛ばすことができるのです。
 かれはその魔法を応用することによって、自分が空を飛ぶこともできますし、他人に魔法をかければ、その人を飛ばせることもできるのです。ただし、魔法をかけられた人は、自分の意志で自由に空が飛べるのではなく、ノワールにあやつられて飛んでいるのですが。
 ノワールが魔法を使う時の条件として、魔法をかける対象に必ず「右手で」触れるということがあります。ただし、それは「間接的に」でもいいのです。
 つまり、こういうことです。ノワールはボブの投げた球をバットに当てた瞬間、両手(「右手」と左手)で握ったバットでボールに「間接的に」触れていたのです。
 そして、ノワールはだれにも聞こえないように小さな声で、
「セ・サンパ」
 と「合い言葉」を唱えました。あとは、自在にあやつれるようになったボールを大空の彼方へと飛ばせば、ホームランのできあがり、というわけです。
 バットを放ったノワールがゆっくりと一塁を回るころには、チェンがホームへと還り、一点目。そして、ノワールが二塁を回り、ホームベースを踏んで、二点目が入りました。
 みんなが拍手でかれをたたえました。
 ただ一人、ノワールが魔法を使ってずるをしたことに気がついていたブランだけが、ちょっと怒った表情をしていましたが、ノワールは気づかないふりをしました。
 ブランとノワール、そしてタロウたちは、日が暮れるまでたっぷりとエストの森の広場で遊びました。

     -つづく-

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2006年4月22日 (土)

旧制高校 第2回

 私は京大医学部を失敗し岡山に拾って貰った。世が世ならこんな田舎大学に来るんじゃないのに、と思ったが、それは飛んでもない思い上がりであった。岡山に入れなかったら私はとても医師になってはいなかった。
 父は旧安田銀行、のちの富士銀行勤務で、父の収入や転任の事を考えると、とても私立医大に行く金を父に出させる勇気はなかった。かと言って新制大学に行くのは一種の落第であり、新制になってからの皆さんには大変失礼な言い方で申し訳ないが、プライドが許さなかった。
 私たちの授業料は確か一年で三千六百円だったと思う。インターンで慶応の人たちと一緒になり、それが二万円だと聞いて私は驚いた。当時、私は万単位の金は見た事もなければ触った事もなかった。
 金沢の旧制高校同窓会本部から昭和二十四年理乙卒業者の名簿作りを命じられた時、正直言って迷惑であった。先輩たちは皆年配者であり、殆どが旧帝国大学卒業であった。
 私は彼らの体臭の様なもの、特にエリート意識が嫌いであった。この時も少し身の廻りを調べて、それでお茶を濁す積りでいた。
 本部から昭和二十四年理乙全卒業者の名前を列記し、少数の住所判明者だけ印刷した用紙が送られてきた。
 理乙は三クラスあり、全部で百二十名であった。卒業時の集合写真三枚は何とか集った。しかし卒後二十三年という歳月は意外にも個々の間を砂の様に埋め尽くしていた。古代の遺跡を発掘するのにも似た困難が待ち受けていた。Pの事を知ろうと思えばQを調べねばならず、Qを探すためには又誰かを追及しなければならなかった。私は推理小説を読む様な面白さに次第にはまっていった。
 連日、北海道から九州まで電話をかけまくり、それぞれの消息を確かめ、不明者の住所を探し出そうと努めた。
 驚いた事に多くの者は自分が何組に属していたかを覚えてはいず、受持の教授の記憶も定かでなく、卒業時のそのクラスの集合写真のコピーを送っても、自分以外の友人の名前と顔が分らず、果たしてあの三年間の生活は実在したのであろうかとすら思えた。
 私は常に調査方法を考えた。昔、私と妻が結婚の挨拶廻りをしていた時、新宿の地下道でAに会った事を思い出した。その時の名刺には確か最高裁図書館勤務と書いてあった。
 翌朝、早速最高裁に電話した。図書館のA、ああ、富山県の人ですね、と言われたのには驚いた。人事の事はこれだけで分るのか、さすが最高裁だと妙なところで感心した。
 彼を知った事は大きかった。官庁関係の事は大抵彼で間に合ってしまうのだった。Bも何の手がかりもなかったが、誰かが彼の父親は陸軍中将で南方で戦死したはずだと言った。
 これもAが厚生省にあたり、B中将の本籍は福井市と分った。福井市は既に東京板橋区に転籍と伝えてきた。
 板橋区は、それは何々出張所の管轄だと言い、何々出張所では現住所が知りたければ付票交付願いを出せ、と言った。それによってやっとBの住所が判明した。電話番号を調べ、三ヶ月かかってやっと彼の声を聞く事が出来た。戦時中に出来た信州医大を出て開業していた。
 彼とは一面識もない。しかし長年行き別れた兄弟に再会した様な、嬉しさの様な悲しさの様な、得体の知れないものがこみ上げてくるのをどうする事も出来なかった。
 Cという男も住所不明だった。誰かが彼の兄が鎌倉にいると教えてくれた。何とCは既に死亡していた。どんな病気だったんですか、と聞くと、俄かに相手の言葉が揺れた。余り人に言いたくない病気かと思い、追求する事はしなかった。
 彼と仲がよかったという級友に電話した時だ。それはまずかったな、Cは自殺したんだ、と言われて私は悔やんだ。
 Dは受験に失敗し、新制大学にも行かず、郷里の若狭で新制中学の代用教員になったと聞いていた。旧制高校卒だけでは中途半端な学歴で今なら大学中退の扱いであった。
 地方の学芸大学卒の若いのに追い越され、いわゆる窓際族であったらしい。電話に出た彼は如何にもそれらしくぼそぼそと応対した。その後、登用試験を受けて教頭にはなったと聞いたが死亡した。

               (川野蓼艸氏寄稿)

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魔法使いブラン~巨大いん石衝突を回避せよ!!の巻~第1回

 小学校の屋上のフェンスの上に、二羽のかっこうがとまっていました。かっこうたちは仲良くたわむれながらさえずっていましたが、やがて何かを思い出したかのように、大空へと飛び去っていきました。
 そのかっこうのあとを追いかけるようにして、終業ベルが響きわたります。
 校舎から最初に飛び出してきたのは、黒髪の小柄な少年でした。全速力で校門を目指しています。
 少年の後ろから、短く刈り込んだ金髪の、太った少年が猛スピードで追いかけてきます。
 金髪の少年はあっという間に黒髪の少年を追い抜くと、笑いながら後ろを振り返りました。
「ガッハハ。遅いぞ、タロウ! 先に行ってるぞ!」
 金髪の少年はそう言うと、さらにスピードを上げ、校門を抜けて真っ直ぐに東の方へと走り去っていきました。
「ちっくしょ~、今日もボブに負けた……」
 タロウはすでに息づかいが荒くなってきています。
 そのタロウをさらに、背が高く、浅黒い肌をした少年と、栗色の髪を肩まで伸ばした女の子が追い抜いていきます。
「タロウ、追いてくぞ!」
「先に行ってるわよ~!」
「お~い、チェンもキャスも、待ってくれよ~!」

 百メートル先の交差点で、キャスだけがタロウを待ってくれていました。
「ボブもチェンも先に行っちゃったよ。私たちも早く行こう」
 笑顔でそう言うと、キャスは再び走りはじめました。今度はタロウのペースに合わせて、さっきよりもゆっくりです。
 タロウたちの住む「モンド村」の東には、「エストの森」という名前の大きな森があり、その中に、そこだけバリカンで刈ったみたいに木々の生えていない「広場」がありました。かれらはそこを目指しているのです。

 タロウとキャスがエストの森の広場に到着すると、先に着いていたボブとチェンの他に、そこにはもう一人、奇妙な仲間が待っていました。
 いつからかエストの森に住んでいる、魔法使い「ブラン」です。
 ブランは雪だるまのように白く、太っていて、マシュマロのようにぷくっと柔らかい体をしていました。頭の上には大きくて猫のような耳が二つくっついています。人間じゃないけど、どこかひょうきんな顔立ちで、優しくて、タロウたちはみんなブランが大好きでした。
 かれらは毎日、放課後になるとエストの森へと走っていき、日が暮れるまでブランと一緒に遊びました。
「よし、みんな集まったね」
 ブランは、ほとんど一本線のような細い目を、にっこりと山型にして言いました。
 ボブは、ここに来る途中でチェンと一緒に拾い集めておいた「木の枝」二本と「松ぼっくり」二つ、それから人数分の「イチジクの葉っぱ」をブランの前に置きました。
「じゃあブラン、さっそく頼むぜ」
 ブランは、こくりとうなづくと、
「イル・フェ・ボー!」
 と叫び、先端に星形の水晶が付いた杖を振りました。
 すると、それまで何のへんてつもなかった「木の枝」が、たちまち「バット」へと変わります。
「ある物を別の物に変える」
 それがブランの魔法でした。「イル・フェ・ボー」というのは、ブラン専用の「合い言葉」でした。魔法使いたちは皆、自分専用の「合い言葉」を持っていて、その合い言葉を唱えることによって、初めて魔法が使えるのです。ただし、かれらが使える魔法は一人につき一つだけで、それぞれの才能と特性によって、個性的な魔法を持っているのです。
 ブランはさらに二回魔法を使い、「松ぼっくり」をボールに、「イチジクの葉っぱ」をすべてグラブに変えました。
 さあ、野球の始まりです。

     -つづく-

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2006年4月14日 (金)

旧制高校 第1回

 昭和四十七年、もう何年前の事であろう。金沢の旧制高校の同窓会から卒業生の名簿を作る、ついてはお前の学年の理科乙類の動静を調べろ、という達示が届いた。
 若い人には、旧制と言っても理科乙類と言ってもお分かりにはなるまい。戦前から戦後しばらくにかけての教育制度は小学校は六年、中学は五年、高等学校は三年、大学は三年、医学部だけは四年、合計十七年、医学部十八年であった。
 現在の新制度では小学校六年、中学三年、高校三年、大学は教養課程二年、専門課程二年、合計十六年、医学部だけは専門課程四年であるから合計十八年。つまり医学部だけは旧制、新制とも十八年で変わりはないが、他の学部では十七年から十六年と就学期間が一年短縮された。
従って昭和二十八年には旧制と新制とが同時に卒業する事になった。就職するに当って一年長く勉強した者を優遇し、旧制卒業者の初任給をどこの企業でも高くした。
 医学部のみ旧制新制とも就学期間は十八年であったから、こういうダブり現象は起こらず、我々は旧制最後、一年下から新制大学とはっきりしていた。
 旧制高校では入学すると生徒は文科と理科に分けられた。
 そしてそれぞれが甲類と乙類に分かれた。文科は第一外国語を英語にすれば甲類、ドイツ語にすれば乙類であったが、理科の方は大学の理学部、工学部をめざす者は甲類で、第一外国語は英語であり、医学部、農学部をめざす者は乙類で第一外国語はドイツ語と決められていた。
 まあ、旧制高校は現在の大学の教養課程に相当していたと言えよう。現在の高校は公立および私立であるが、旧制高校は国立と私立であった。殆どは国立で私立は成城、成蹊、武蔵、甲南等少数であった。旧制高校の教師は教授と呼ばれた。
 我々がドイツ語を習った西教授は東大独文学科教授となって転任された。
 一高東大という。一高、つまり第一高等学校という旧制高校はどこにあったか。井の頭線に東大前という駅がある。あの駅の北に聳える塔のある建物が当時の一高である。現在は東大教養学部になっている。
 ついでに言えば二高は仙台、三高は京都、四高は金沢、五高は熊本、六高は岡山、七高は鹿児島、八高は名古屋、ここまでをナンバースクールといった。
 ついで松本、新潟、水戸に出来ていったが、そこからは番号はつけられず、ネームスクールといった。各県に一校はなかった。北から言えばネームスクールは弘前、山形、新潟、富山、松本、水戸、浦和、静岡、西日本にに入って大阪、松江、山口、四国に松山、高知、九州に福岡、佐賀等にあった。
 その他、東京には都立高校、国立の東京高校、大阪には府立浪速高校があり、台北には台北高校があった。北大の予科も旧制高校に数えられ、旧京城帝大予科、台北帝大予科も旧制高校とされた。今では中国に返還されたが、日本の租借地だった遼東半島には旅順高校があった。
 私立大学の医学部は予科が三年、学部が四年、予科と学部は一体であった。つまり官立、今の国立大学は私立大学の予科に相当するものが、旧制高校として全国に散らばって存在していた様なものであった。
 旧制高校を卒業すれば大体全国の国立大学のどこかに入学する事が出来た。大都市にあった旧帝国大学、千葉、新潟、岡山、熊本、長崎、金沢の六つの単科医科大学、東京工大、東京商大(現・一ツ橋)、神戸商大等々であった。
 旧制高校卒業生と国立大学募集人員はほぼイコールだったから、六つの地方医科大学は大抵無試験で入れた。成城文科から岡山医大を受けた我が医師会の耳鼻科の故・野村先生は、事務官が試験場に入ってくれと言うと
 「俺たちは無試験だっていうから入学手続きに来たんだ。それを試験するってえのはおかしんじゃねえか。」
と浅草育ちの東京弁で毒づいた。事務官は
 「そりゃそうですけえど、一応、試験はする事になっておりますんじゃ。まあ、そねんごねんと中に入って名前だけでようござんすから、ちょと書いてやってつかあさらんか。」
と岡山弁で答えたという。現在ではとうてい信じがたい話である。
 戦時中、軍部の技術者、医師の必要から大学の理工系募集は増加していた。東大に第二工学部というのすらあった。
 戦後、その必要性はなくなり、大幅に文部省は募集人員を減らした。ところが旧制高校の募集は片手落ちで戦前のままであったから、旧制どんじりの我々にはどうしてもあぶれる者が出るのは必然であった。

                (川野蓼艸氏寄稿)

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2006年4月 3日 (月)

花より胡麻だんご

Omake04 大村益次郎さんのちかくの台湾料理店のおもてで売っていた胡麻だんご。あまりに美味しかったので、家族用にと再び購入。帰路、食べたくなる気持ちを必死に抑えながら、家に持ち帰りました。

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さくら特集その8

Sakura05 写真には入れませんでしたが、外濠にはボートに乗っている人たちが結構いました。
 われらが大橋俊彦さんの名句、

  花畳櫂が乱してゆきにけり

 ……を思い出しました。

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さくら特集その7

Sakura04 枝垂れ桜にはまだ余力があるようでした。

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さくら特集その6

Hukei03 この建物は、東京都近代美術館工芸館です。

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さくら特集その5

Sakura03 この枝ぶり、見事。

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さくら特集その4

Hukei04 さて問題です。この建物はなんでしょう? 僕の人生ではたぶん一生お世話になることがないだろう施設です。

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さくら特集その3

Sakura02 透明感のある桜。

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さくら特集その2

Hukei02 ハイウェイのそばの桜。
 見とれて交通事故、注意。

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2006年4月 2日 (日)

さくら特集その1

Sakura01 今日は桜を見に行ってきました。
 あいにく、くもりのち雨、の天気でしたが、桜は気にせずきれいでした。

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コーンの中の空間

黒胡麻のソフトクリーム甘けれどコーンの中の空間淋し

天からの花のひとひらつかもうと子どもの狂喜右往左往す

「久々に美しいもの見た」なんて失言でした君のとなりで

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