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2006年4月28日 (金)

旧制高校 第3回

 大阪大学、名古屋大学は旧帝大だったが、医・理・工の理科系しかなかった。戦後、法学部、経済学部が新設された。   
 しかし医学部を目指していた者が、急に新設の阪大、名大の法科や経済にはいけない、という気持もあって人気はなかった。しかしどこへも行かないよりはというので、やむなく入学する者もいた。無試験であった。
 これらも今や大変入りにくい学部だと聞いているが、当時の実情はこんなものだった。同大学の同学部関係の方には誠に申し訳のない言い方で、お詫びするしかない。
 Eはこのやむを得ずの口だった。日立の本社の出世頭で当時既に部長代理であった。電話すると秘書が出て、私がどういう人間か分らぬのでしきりに探りを入れる。
 私は医者だ、怪しい者ではない、でやっと彼は出た。
 「はいはい。Eで御座います。川野さん。ほう、思い出しませんなあ。金沢でですか。」
 「何言ってんだ。寮でお前が南寮四号、俺はその上の五号で、俺が夜中に雪の中へ窓からションベンすると、お前も下でちょうどやっていて、お前がチキショウと言ったではないか。俺だってば。川野だってば。ユスリやタカリじゃないんだってば。」
 これが十分ばかり続いて、やっと、何だ、お前か、となった。
 この時の、はいはい、Eで御座います、という言い方は如何にも今全日立を背負って自分は頑張っているのだ、という自信に満ち溢れていた。Dのぼそぼそとは格段の差であった。私は電話一本の最初の瞬間で、その人の過去一切が浮かびあがる様な気がした。
 Fは全くと言っていいほど手がかりがなかった。唯一、ある者が東大受験の時、吉祥寺のプラットフォームで会って少し話をした事がある、という情報だけだった。
 これだけではどうにもならない。諦めるしかないと思っていたのだが、これもある夜、ひょっとするとと思って、三多摩の電話番号簿を見てみると、武蔵野市吉祥寺に同姓同名の人が出ているではないか。
 これが私の探しているFかどうか。殆ど違うとしか思えなかった。夜の十時だったが電話してみると夫人が出て来て、確かにFですが、貴方様の探している人と私の夫が同一人物かどうか分りません。金沢の学校ですか。どうでしょう。聞いた事はありません、という返事であった。
 私はやはり人違いだと思った。もしそうなら直ぐに向こうから電話が返って来そうなものだが、なかった。
 しかし一週間後、手紙が来た。確かに私は貴方が探していらっしゃるFです。私は当時金もなく、進学も失敗し挫折した人間です。金沢の事も含めて過去の事は一切家内には伝えていません。貴方のお役に立つ事がたった一つあります。   
 それはクラスの卒業写真の裏に、どれが誰だか全部名前が記入してあります。名前と顔が一致せず、お困りだと家内から聞きましたが、これをご覧になれば私のクラスは一目瞭然です、という文面であった。
 彼の仕事は夜だ、と夫人が言っていたので警備員の仕事かも知れない。私は充分な謝意を表して写真を送り返した。
 Gは東京教育大学(現・筑波大学)に行った事は分っていたが、大学本部に聞いても住所は不明であった。
 百二十名のうち彼を残すのみであった。あちこち照会をしているうちに、彼の本籍は滋賀県の田舎だと言ったのがいた。私は滋賀県の大津、彦根以外の自治体全部に当たっていくうちに、ついに小さな町に彼の本籍があるのを突き止めた。
 そこから先の手続きはもう何人もこなしていたので訳はなかった。電話に出た彼は勤めていた高校をやめ、家内の実家の事業を手伝っている、と言った。私は大学に連絡しろ、行方不明者になっているぞ、と言った。
 私はついに家から一歩も出る事なく百二十名を探し当てる事が出来た。梅の咲く頃から始め、翌年若葉の頃になっていた。そして昔見たフランス映画「舞踏会の手帳」を思い出した。未亡人となった美人女優が、昔の恋人を尋ね歩く映画であった。自殺したり、彼女に失恋して神父になっていたり、やくざ、町長、堕胎医になっていたりした。
 私は集合写真の全員の名前と、住所を小冊子にして皆に配った。礼状の中に若山牧水の「かたわらに秋草の花語るらし亡びしものは美しきかな」を書いてきたのがいた。
 我々自身が美しいと言うのではない。我々が死に絶えれば旧制の教育を受けた者は完全に地上からいなくなるのだ。
 日の当った者、妻にも過去を語る事のなかった、日の全く当らなかった者、私は光と影を見る思いであった。
 影の者、それは自らの罪ではない。教育改革の狭間にあって、翻弄された水泡なのであった。

               (川野蓼艸氏寄稿)

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コメント

味わい深いお話しです。

投稿 barazusi | 2006年4月29日 (土) 03:45

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